旧ソ連では、よく地名が変わる。たとえば、現在の「サンクトペテルブルグ」は、旧ソ連時代は「レニングラード」だったし、その前は「ペトログラード」だった。地名が変わる理由のひとつは、人名を地名にすることがよくあることにある。レニングラードの場合だと、名前の由来は、いうまでもなく、ロシア革命の指導者レーニン。かつて、レーニンが革命の英雄だったときには、帝政ロシア時代の首都にレーニンの名をとって、「レニングラード」と名づけられた。だが、ソビエト連邦の崩壊で、レーニンの評判も地に落ちてしまった。それで、レーニンの名をとった「レニングラード」も、古い名前の「ペテルブルグ」を復活させて、「サンクトペテルブルグ」になったのである。このほか、「ブレジネフ」が「ナベレジヌイエチェルヌイ」になったり、チェルネンコが「シャルイポヴォ」になったり、アンドロポフが「ルイビンスク」になったり。思想や社会体制の変遷、政治家の評価の変化などが、地名にも反映しているわけで、いかにも旧ソ連らしいといえる。もっとも、同じレーニンの名がついた地名でも、アルメニアのレニナカンなどのように、ソ連崩壊後に独立した国の地名の場合は、少し事情が違う。これら少数民族の土地などでは、現地語の地名がロシア語では読みにくいという場合、もとの地名が、ロシア人名にちなんだ地名に変更されるということが、よく行われていた。これは、現地の人々にとってはおもしろくない話。それで、連邦解体にともなって、それぞれの共和国で、ロシア人名に変更されていた地名を、元に戻す動きがさかんになった。先に挙げたアルメニアのレニナカンの場合は、元の地名だった「クマイリ」に戻された。やはり連邦解体にともなって、旧ソ連では、人名からついた地名以外にも、地名が変更されているケースがたくさんある。現地語の読みやつづりがロシア語に変更されていたものが、元の現地語に戻されたケースだ。たとえば、モルダヴィアがモルドヴァに、ペロルシアがベラルーシに変更になったのは有名な例である。
まずやるべきことは、ホテルの館内案内を取り出し、それを隈なく読むこと。そして館内に何があるか、どんなサービスがあるかを確かめておくことだ。例えば、私がグアムのホテルに泊まった時は、案内書の中に庭園のバーラウンジでの黒生ビール無料券が入っていた。あるいはバンコクのオリェンタルホテルに泊まった時は、夕刻から宿泊者を集めた無料パーティが開かれると書いてあった。こうした情報を到着後ひと休みしている間に頭に入れておくといい。そして現地の地図を広げて、いよいよ街歩き開始だ。外出する際、スタッフに部屋の中に入ってきてほしくなければ、『Don’tdisturb』のサインをドアに掛けておく。セキュリティが悪そうなホテルでは、外出時に部屋のライトをつけ、ラジオを鳴らしておくと、中に人がいると思って入ってこないものである。これもホテルを利用する際の知恵だ。
小倉城はガラシヤ夫人の夫として知られる細川忠興が築いたものだが、天守閣は飾り破風が一切なく、しかも五層目が四層目より張り出している珍しいもので、モダンさが話題となり高松城や津山城に模倣された。しかし、戦後復元されたいまの天守閣は、桃山風の華麗な破風を配したもので、かえって平凡なデザインになっている。門司は戦前には神戸、横浜、大阪に次ぐ貿易港だったが、戦争中に関門海峡トンネルが開通したことから衰退し、いまでは門司港駅などを中心にレトロつぽさを前面に出して観光で売り出している。八幡は日本最初の本格的な製鉄所を中心に発展したが、区名は「ヤハタ」で製鉄所と駅名は「ヤワタ」と読む。同じ町で、習慣からこんな風に漢字の読み方を変えるのは他にもある。新幹線の米原駅は「マイバラ」だが町の名前は「マイハラ」などもその例である。かつての八幡製鉄所の敷地にはNASAとの協力で宇宙をテーマにしたテーマパーク「スペースワールド」がオープンしている。